こんにちは、ゆとり主婦のマリー(@yutori_shuhu)です。
うつ病の体験記の続きです。
今回は、うつ病にかかって失ったものと、逆に得たものについて振り返って書いてみます。
Contents
うつ病で失ったもの5つ
うつ病にかかり、通院し、離職し、失ったものはいくつもあります。
その中でもこれは大きかったと思うことが5つあります。
1、仕事とキャリア
まず第一に挙げられるのは、仕事とキャリアの断絶です。
フルタイムの専門職についていた私は、うつ病にかかってから辞めました。
正確に言うと、辞めたのではなく、業務委託で1年ごとの契約だったため、「次年度の契約を更新しなかった」ということになります。
医師からは休職を勧められましたが、社員ではなかったので休職制度はありませんでした。
医師から勧められなくても、通勤して働くということがもう限界だったので続けられませんでした。
うつ病の原因は断定することはできません。
しかし、当時の私にとって職場での人間関係にもストレスがあり、仕事自体もプレッシャーが強いものでした。
逆に言うと、他の分野ではストレスを感じる場面はありませんでした。
だから、仕事を辞めることが回復につながると信じました。
一方で、仕事を辞めたことによって、それまで培ってきたキャリアやその後の展望、将来の計画が消えていきました。
うつ病になったことは限られた人にだけ告知していたので、周囲の人からは「もったいない」「残念だ」と言われて精神的に辛かった記憶があります。
今はすっかりよくなりましたが、あのようなストレスの強い仕事に戻ったら再発するのではないかと、恐れを抱いています。
2、お金
文字通りお金が減りました。
当たり前ですよね。仕事を辞めて収入がなくなったのに、治療費は出ていくんですから。
結婚していたので、夫の支えもあり生活に困ることはありませんでしたが、自分の貯金は奨学金の返済や社会保険の支払いなのでどんどん減っていきました。
また、共働きでがんばっていたのに、自分がうつ病になったせいで家計が悪化していると思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
治療費の負担額が1割になる自立支援医療の制度には助けられました。
3、標準的な体重
薬を飲み始めてから、驚くほどの勢いで太り、3カ月でなんと10kg増。
過去最高の体重になりました。
持っていた洋服や下着の8割は入らなくなり、自分の容姿が嫌になり、疲れやすくなりました。
周りからは「妊娠したの?」と言われ、そのたびに笑ってごまかし、心で泣いていました。
病院を変えて投薬が終わってからは、少しずつですが体重が戻ってきて、2kg痩せました。
今はホットヨガや筋トレに励んでいますが、いまだに標準体重までは遥かなる道のりです・・・
4、自信
まさか自分がうつ病になるなんて思いもよりませんでした。
家族からも驚かれました。
妹は「何でも自分で調べて何でもできちゃうお姉ちゃんが、そんなことになるなんて」とびっくりしていました。
体は強い方ではありませんでしたが、入院や手術が必要な大きな病気やけがはしたことがありませんでした。
そんな私が、病気で仕事をやめるなんて。
10kgも太るなんて。
泣いてばかりの日々を送るなんて。
自分に対するイメージが崩れていき、自信を失いました。
まだ完全には取り戻せていないと思います。
5、妊活できる期間
結婚してから間もなくうつ病になって薬を飲み始めたため、妊娠を控える必要がありました。
薬を飲むために機会を損失したのです。
妊娠できるのは1年で12回しかないチャンスなので、大きな痛手でした。
余談ですが、最初の病院では「妊娠に影響がない薬にするから、妊活していい」と言われました。
それでも私は怖かったし、自分がうつ状態で妊娠や出産を乗り越えられるとは思えなかったので控えていました。
後に転院した病院でその処方箋を見せたところ、「妊活はダメ」と言われて驚いたことがあります。
もし、飲んでいる最中に妊娠をしたら、子どもの障害につながる恐れがある抗うつ剤もあります。
医師によって判断が異なることびっくりしました。
また、投薬が終わってもすぐには産婦人科に行って積極的な妊活をする気にはなれませんでした。
なぜなら、うつ病は再発することが多い病気だと聞いていたからです。
うつ病で得たもの
一方、うつ病になって失ったものだけではなく、得たものもありました。
当時はわからなくても、振り返るとよかったと思えることもありました。
1、家族の愛情・やさしさ
1番は家族の愛情に支えられたことです。
もし私がうつ病にならなければ、夫がこれほど優しく思いやりにあふれた人とは知らなかったでしょう。
また、自分の実家の家族には知らせたのですが、私のことを第一に考えてくれて支えてくれたことも励みになりました。
いまだに世間体を気にして仕事を辞めることを責めたり、うつ病をなまけ病で気合で治ると叱咤する高年齢者はいます。
自分の両親がそうでなくて本当によかったと思います。
2、自分をいたわる心
私は自分自身に甘い方だと思っていましたが、振り返ると、つい頑張りすぎてしまう面があったようです。
例えば・・・
- 依頼された仕事はキャパオーバーでも断れない
- 後輩からよく相談を受け、後輩の分までカバーしてしまう
- 上司が気づいていない面をフォローをする
- 期待以上の成果をあげないと評価されないと思ってしまう
- 部署の環境がよくなる提案をして、自分の仕事を増やしてしまう
- 気難しい人から後輩たちが怒られないよう、根回しをする
仕事はもっと肩の力を抜いて、60%くらいの完成度でやっていたらよかったかな~と思います。
今もフリーランスで受注している仕事に関しては「完成度120%で納品したい」「期待値超えたい」と思う節があり、頑張りぐせは抜けないようです。
しかし、仕事量を調節することで、自分のストレスもコントロールし、心と体をいたわるようになりました。
自分にムチを打ちすぎないようにしています。
3、精神病や神経症の知識
うつ病について調べていくうちに、他の病気である双極性障害や統合失調症、パニック障害などについても多くの本を読み、知識が増えていきました。
当時は米国精神医学会の「DSM-5」の診断基準も覚えるくらい読んでいました。
病院でカウンセリングは受けていませんでしたが、河合隼雄先生の本もよく読み、カウンセリングを受けている気分になっていました。
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4、精神障害がある人やマイノリティへの理解
自分が実際にメンタルクリニックに通って当事者になったことで、精神障害がある人を、勝手に仲間だと思うようになりました。
それまでは、道端でぶつぶつ話している人を見たら、何となく怖いと感じていましたが、今は「おっ、今日もつぶやいているね!お疲れ様です。私も何かあったら声に出してスッキリするね!」という風に、心の中で話しかけています。
完全に理解しているわけではないけれど、うつ病になる前までは偏見を持っていたと思います。
それが少しは薄れて自分事になった感じです。
また、私はうつ病になったことを一部の人だけに告白していました。
すると告白した人からは「実は私も・・・」と逆に打ち明けられることが多かったです。
その経験から、「人は誰しも見えないところで悲しみや苦労や障害を抱えているかもしれない」と考えるようになりました。
気づくのが遅すぎですね。
それ以来、自分の言動で人を傷つけているかもしれないと思い、気をつけるようになりました。
軽い冗談のつもりでも、実は目の前の人が当事者だという可能性は十分あるんです。
5、フリーランスのしごと
仕事を失った後、自分のできる範囲でお金を稼ごうと、フリーランスでライティングや動画編集の仕事を受注し始めました。
この働き方は自分に合っているようで、強いストレスを感じずに続けられています。
仕事を選んで受注することで、対人関係や仕事量を自分でコントロールできるので、うつ病の再発を防げていると思います。
ただ、フリーランスだと自分が病気になった時に代わってくれる人がいないので、健康にはさらに気を付けて維持していかないとなりません。
自分のメンタル状態を意識してチェックしています。
まとめ うつ病でわかったこともある
うつ病で失ったものは大きかったですが、病気にならなければわからなかったこともたくさんありました。
特に家族の愛情。
そして、病気や障害を持つ人、マイノリティの人に対する当事者意識が芽生えたことは大きいと思います。
これを忘れないように生きていきたいと思います。